しかしそれは、重要な要素ではなかった

しかしそれは、重要な要素ではなかった。ぼくが彼女を好きになったもっとも大きな理由は、彼女が率先して動く、という点であった。指名せずにめんどうな用や苦労する用を口にすると、まっさきに立つのが彼女であった。まったくいやな顔をしなかった。何か用があればそれは自分がするのが当然、という表情であった。それは、人が見ていようといまいと、同じであった。彼女の働きには、「義務としてしている」という感じはなかった。楽しげですらあった。教師もぼくたち上級生も、自然に彼女にもっとも用を多く命じることになった。どうせ何かをしてもらうのであれば、気さくに承知して迅速に完全になしとげてくれる者がいいにきまっているのである。彼女は女子部員のなかでのリーダーであった。自然にリーダーになっていた。まず、自分が動く。自分だけで間に合わないときにはじめて友だちに協力を求める。いわゆる「腰が軽い」のである。尻軽女とは貞操観念のない女のことだが、「腰が軽い」という表現は、それとはまったくちがう。労働を嫌わないという意味だ。だいたい才女というものは、乙おつにすまし込んでいたりへんに気取っていたりするものだが、彼女にはそんな点はまったくなかった。いつもにこにこしており、冗談を言い、ずら好きであった。だれもが彼女を、「いい子だな」と認めていた。後年ぼくは、「あのころも、きみはだれからも好かれていた」と言ったことがある。すると彼女は、「それだけあたしが恩人だったんでしょう」と笑った。このことばには興味がある。彼女だって、いつも心楽しく働いていたわけではないのである。ときには動きたくないこともあったであろうし、なぜ自分だけが苦労しなきゃならないかと考えることもあったであろう。仕事を自分に押しつけるみなにいやな顔をしたいときもあったであろう。、.圃品ム彼女は、自分のなかのそんな部分を殺した。一瞬のうちにねじ伏せて、席を立った。自分の胸に走ったことを人に知られないように笑顔になった。それだけ人を偽ることもあったという意味の「悪人」なのである。人間だれしも、好んで苦労を買って出たくはないものだ。しかし、だれかがそれをしなければならないとすれば、自分がそれをしよう。強制される前に自発的に行うほうが自主性がある。ぼくは彼女のそういう気質及びその仕事ぷりの明るさと的確さによって彼女を好きになったのである。今でもぼくは、少年の日にその子を好きになったことについて、肯定的である。