女が飾るほど男は逃げる女たちは男

女が飾るほど男は逃げる女たちは男に好かれようとして、じつにいろいろの努力をする。化粧する。服装におしゃれをする。気の利いた会話が出来るように練習する。整形手術をし、金品をプレゼントする。性的に挑発する。教養をひけらかす。ま、そのようないろいろな努力もけつこうである。また、それが効果がある場合も多い。しかしここで問題なのは、自分をアッピールさせるその手段によって、それがどんな男のどんな部分に結びつくか、という点なのである。ある方法によってある男を自分にひきつけることが出来たとする。するとその男は、その方法に弱い性格なのである。表面を飾り立てることによって男を誘惑するのは簡単だ。しかしそれでは、表面だけを重んじる男がくっついて来るだけである。けっしてきみ自身のプラスになるとは思わない。ある恋人同士が言い争っていた。「あなたはあたしをそんなふうにしか思っていなかったのか?」「それはそうさ。きみはおれにそんな女として接近して来たじゃないか」「だまされた」「いいや、だましもだまされもしない。おれたちの結びつきは最初からそういうものなんだ」「人でなし」「最初からおたがい、人格とは無縁のところでくっついたんだよ。そんな相手と結婚する気なんかになるものか」男もかなり身勝手だが、女も男歌批難することはできない。人はどこかで見ている話をもとにもどす。ぼくは高三のときに率先して動くその少女を好きになったが、これは恋愛に限定されるものではない。今年も、多くの若い娘たちが社会に出る。あるいはあたらしい学校に入り、それぞれのグループ活動に身を置く。上司や先輩に愛されるもっとも基本的なことは、笑顔で積極的に動くというこの一点なのである。ところが世の中には、人の見ているところではいかにも自分が勤勉であるかのように振舞いながら、人が見ていないと骨休めする者がいる。男にもいるし、女にもいる。これを、「蔭ひなたのある人間」と呼ぶ。同僚にこんな人間がいるほど腹立たしいものはない。しかも上司におべんちゃらを使い、あれこれと注進し、愛想笑いをふりまく。こんな手合いが出世することはよくある。上司の中には、「こいつはこういうずるい人間だ」そう判断しながら、その人聞が自分にとって都合がよいので、調法がる。本人は、「してやったり、うまく行っているぞ」そうほくそ笑んでいる。なんぞはからん、そういう小ざかしい人聞は、ある日利用価値がなくなれば、バッサリと切られるのである。